Von Leningrad bis Pommern
Die lettischen Divisionen im Kampf gegen die Rote Armee

レニングラードからポメラニアへ :第15.19SS武装擲弾兵師団(ラトビア)師団史



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Zeitgeschichte Hans Stober
ドイツ 412
2024 枚の写真や地図
25cmx18cm ハードカバ-
ドイツ語 新品


ラトビア人義勇兵を中心に編成された第15SS武装擲弾兵師団と第19SS武装擲弾兵師の
完璧な記録。

著者は完璧な第17SS装甲擲弾兵師団史など発表したHans Stober氏なので間違いなしの素晴らしい内容です!

第15SS武装擲弾兵師団(ラトビア第1師団)
第19SS武装擲弾兵師団 (ラトビア第2)
その前身のラトビアSS義勇連隊創隊からベルリン戦とその後の運命まで、詳細に記録されており
巻末の戦闘序列など全てのラトビアSS師団の全てがこの1冊に詰まっています。


以下出版社の照会文

ドイツ軍の師団の中で、これほど短期間に国防軍の声明で頻繁に名前が挙がったのは、第19(ラトビア)SS義勇師団である。
1941年夏、バルト三国がソビエト共産主義の支配から解放された直後、無数のラトビア義勇兵が入隊しました。
彼らは2つの師団といくつかの戦闘集団に編成され、ラトビア軍団が結成されました。
ラトビア人は、ヴォルホフ川とヴェリカヤ川で目覚ましい軍事的功績と成功を収め、
クールラントでの信じられないほど残酷な戦闘に参加し、祖国ラトビアを失った後も長きにわたって任務を遂行し続けました。
彼らはポンメルンでの戦闘では最前線に立ち、
第15SS義勇師団(ラトビア)の第15フュージリアー大隊はベルリンの最終決戦にも参加しました。
わずか80名しか残っていない中、このラトビアの小さな戦闘部隊は、官庁街にある帝国保安本部ビルを防衛しました。
彼らの献身と勇敢さは、数々の騎士十字章とドイツ金十字章によって称えられました。
彼らの感動的な物語の全容をここにご紹介します。


原書は1981年にMunin社から発売
原題 Die lettischen Divisionen im VI. SS-Armeekorps

 
初版 1981



1 はじめに
2 ラトビアの歴史を振り返る

a) 騎士団、ハンザ同盟、スウェーデン、ポーランド、ロシアの支配
b) バルト諸国におけるドイツ自由軍団の戦い。
c) 兵士としてのラトビア人
d) ラトビア軍
e) 共和国の終焉
f) 1941年6月22日から7月10日までのバルト諸国の解放
3 ラトビアSS義勇旅団の編成と戦闘

a) 戦闘地域と戦闘方法。
b) ヴォルホフ川流域における「ラトビア義勇旅団」の展開
c) 第2旅団の第19SS師団への編入
4 第15ラトビアSS義勇師団の結成

a) 第15師団の最初の前線展開。
b) 第6SS軍団に属する第15師団と第19師団がヴェリカヤで戦闘し、
ラトビア国境まで撤退する。
c) ラトビアへの撤退戦闘。
5 リヴォニアにおける第19SS師団の戦い
6 クールラントの戦い

a) 第三次クールラントの戦い
b) 最後まで。
7 ドイツにおける第15師団の再編成と最終戦闘。
a)ナケルにおける再編と対立。
8 ポメラニアの戦い
a) ヴィルケンスヴァルデ東部の抵抗線での戦闘。
b) フラトゥの防衛とクドゥ地区への撤退
c) クドウ地区での戦闘
9 帝国における最後の戦い
10 第15SS師団の最後の日々
 11  ベルリンにおけるSS第15義勇フュージリアー大隊の終焉
 12  第6SS軍団
 13 第15ラトビアSS義勇師団の補充部隊
 14  リーダー、サブリーダーの研修、特別研
 15  国境警備隊
 16  ラトビア空軍軍団
 17  軍指導部の政治活動
 18  臨時政府
 19 投獄および引き渡し
 20  1945年以降のラトビアとラトビア人




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